バリ旅行に役立つインドネシア語学習。 80年代の懐かしいバリの思い出を綴ります。


by nenek yoshimi & jepunsari

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バリでは色々な移動手段があります。
町を歩けば、”トランスポート”と白タクの運ちゃんが声をかけてきます。 
バイクを借りて自由に行動する人も増えた事でしょう。 
公共バスのベモも本数が少ない、ルートが限られる、時間が決まっている、
などの理由からバリ人でも使う人が減っています。


バイクの後ろにのせてもらう『オジェ』というのがあります。 
昔カランガセムに行った時に、少し郊外にあるウジュンに行きたくて、 
町でオジェのおっさんをつかまえました。 

 人っ子一人いないウジュンの廃墟で、遠くの海を眺めながら
カランガセム王宮の過去の栄華を思いはせておりました。
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ウジュンはカランがセム王家が建てた離宮だったそうですが 
当時残っていたのはわずかな建物だけで、廃墟となっていました。
現在タマン・ウジュンは建て直されて観光化されているようです。 


さて帰ろうと、バイクの後ろに乗って田んぼの中を走っていると、
バイクが止まりました。

 。。ガス欠。。。 

ガソリンを売る店はおろか、走ってる車もバイクもない田んぼのど真ん中。 
おっさんはバイクが通ったらガソリンを分けてもらう、と座って煙草を吹かし始めた。 
田園の中でおっさんと二人きり、交わす言葉すらなく、 
私は田んぼの畦に座ってぼんやり考えた。

 ‥このまま帰れなかったらどうしよう‥?

   今考えてみれば歩いて帰ればよかったんだ。。。 

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王宮跡から見えた建物は半壊状態でした。


1時間ほど経って運良くバイクが通り、ガソリンを分けてもらい町までたどり着く。
 約束のお金を払い、「今日は面白かったよ」というと、おっさんは照れ笑い。 


もうあんな時間が止まってしまったような体験はできない。 
時間に追われ、気がつかない間に時は過ぎ去ってゆく。 

ある日のカランガセムでの出来事でした。

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by jepunsari | 2014-05-10 17:31 | jepun のつぶやき

私たちが車を降りるとき、運転手さんが明日の予定を聞いてきました。

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          どうしても見たかったデンパサールの街中にあるチャトール・ムカの像。
チャトールとは4、ムカとは顔、四つの顔を持つというブラフマ神です。
現在は、まわりに噴水ができ、夜にはライトアップされているようです。


" Besok ada acara ? "
ベソッ  アダ アチャラ ?
「明日の予定はあるのですか?」

" Besok saya mau ke Denpasar, Mengwi dan Tanah Lot."
ベソッ  サヤ  マウ  ク デンパサール ムンウィ  ダン  タナ ロット
「明日は、デンパサール、メングイ、タナ・ロットへいくつもりです」

"Saya antar ya."
サヤ  アンタール ヤ
「私が案内しますよ」

"Berapa ? "
ブラパ ?
「いくら?」

"Tiga puluh ribu."
ティガ  プル  リブ
「三万ルピア」

"Tiga puluh ribu ? "
ティガ プル  リブ?
「三万ですか?」

" Kira kira 9 jam.  Berangkat dari jam 9. "
キラ キラ  スンビラン  ジャム  ブランカット ダリ  ジャム  スンビラン
「9時に出発したとしても、9時間はかかります」

" OK.  Besok pakai bunga di telinga lagi.  
オーケー   ベソッ パカイ  ブンガ  ディ  トゥリンガ  ラギ  
Jemput Bali di Intan Cotteges. "
ジュンプット   ディ  バリ  インタン  コテージ
「わかりました。明日も花を耳にさして、インタン・コテージに迎えに来てください」

気の良さそうな運転手さんに、値切ることも忘れて、言い値で約束してしまいました。


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タナロット付近の田園風景。オリジナルなバリが感じられる。


インドネシア語の意味
besok     明日
ada     ある / いる / 存在する
acara    予定 / プログラム
antar    案内する
kira     推測する
 kira-kira   だいたい / およそ
berangkat  出発する
bunga    花
telinga    耳
lagi     また / 再び
jemput   出迎える


  * 料金は1985年当時のものです。

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by jepunsari | 2014-04-28 15:28 | インドネシア語
運よく、車(白タク)が拾えたらチャンスです。交渉してみましょう。

“Transport ?!”
 トランスポート
早速、車から声がかかった。

“Berapa ?  Sampai ke Nusa Dua ? ”
 ブラパ   サンパイ ク  ヌサ  ドゥア
「ヌサ・ドゥアまでいくら?」

“Dua puluh ribu.”
ドゥア プル  リブ
「二万ルピア」

“Tidak mau.”
ティダ マウ
「結構です」

“Mau berapa ? ”
マウ ブラパ
「いくらなら?」

“Sepuluh ribu ! ”
スプル  リブ
「一万ルピア」

“OK.”
「わかった」


運転手さんは仕事にありつきたかったのか、車から降りてきました。問答の末、お互いに了解しました。その時、彼がどんな気持ちでいたか判りませんでしたが、彼は仕事にありつき、私たちは、半額で高級な観光地に行くことができました。

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車を拾ってたどり着いたのは、ヌサドゥアのヌサドゥア・ビーチ・ホテル。
当時、ヌサドゥアにはこのホテルしかありませんでした。
前に写っているのが拾った車だと思いますが、
1万ルピアでレギャンからヌサドゥアまで来られたんですね。

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by jepunsari | 2014-04-02 09:51 | インドネシア語

ベモに乗って‥


ベモと普通の車との見分け方は、ベモは黄色いプレート、ドアが開いているのでわかります。


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現在のベモ、今でも市場帰りのおばさんがでかいカゴや生きた鶏などを持って乗りこんできます。

朝市に買い出しに行く時間帯、生徒が登下校する時間くらいしか走っていません。




もうひとつドッカルと言う馬車もありました。

これも観光用にわずか残っているだけ、

デンパサールの町からすっかり姿を消しました。

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85年、デンパサールのバリ博物館前を走るドッカル。

ところで、あの木に白いペンキが塗ってあったのは何の為だったんだろう?



車をチャーターするお金すらない貧乏ツーリストだった頃、

よくベモに乗ってデンパサールまで行ったものです。。


ウブドからバドゥン(デンパサール)行きのベモに乗り、

クレナンのターミナルまで500ルピア。


クレナンのターミナルから市内を走る小さい車に乗って

ガジャマダ通りあたりまで100ルピア。


所要時間はおそよ2時間。(車でまっすぐ行けば45分くらい;汗)


目的は本屋と布を売っているスラウェシ通り。

デンパサールの商店はお昼過ぎには閉まるので(夜また開きます)

朝早く出かけないと本屋に行けなかったのを思い出します。


今では町の本屋はなくなり、デパートにしか本は売ってないです。


今でもベモに乗ってスラウェシ通りまで買い物に行きたいと思うことがあります。




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by jepunsari | 2014-03-17 11:23 | jepun のつぶやき
ベモ 自体がすでに死語になりつつあるのかもしれません。
ベモは、手をあげて止めて、ストップと言って降りる、公共の乗り合いバス。
普通は決められた路線を走っていますが、チャーターすることもできます。


通りすがりのベモの運転手さんが私に声をかけてきました。
”Bemo !"
ベモ
「ベモ!」

”Berapa, sampai ke Kuta ?"
ブラパ、 サンパイ ク クタ ?
「クタまでいくら?」

"Seribu."
 スリブ
「千ルピア」

"Tidak mau.”
ティダ マウ
「結構です」

"Berapa ?"
ブラパ?
「いくらならいい?」

"Lima Ratus."
リマ ラトゥス
「五百ルピア」

"Jalan ini oneway.  Ke Kuta, harus jalan jauh."
ジャラン イニ ワンウェイ、ク クタ、 ハルース ジャラン ジャウ
「この道は一方通行で、クタに行くには遠回りなんだ

"Saya sudah tahu.Kalau tidak bisa, tidak jadi."
サヤ  スダ タウ、 カラウ ティダ ビサ、 ティダ ジャディ
「知っています。駄目なら、やめます」

"OK"


負けてなるものかと威勢のよかった運転手さんは、あきらめたのでしょうか言ってくれる事になりました。
「ノー」の場合ははっきり言いましょう。


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85年のレギャン通り。当時のベモの写真はありませんでした。
通りに止まっているオレンジ色の車がベモかもしれません。
今は渋滞で身動きがとれないレギャン通りもこんなに閑散としていました。
レギャンからクタまで500ルピアで行けたという事実、今なら1万ルピアでも駄目でしょうね。


インドネシア語の意味

bemo   ベモ(乗り合いバス)
berapa  いくつ / いくら (数を尋ねる)
sampai  到着する / 〜まで
tidak   〜ではない (否定形) 
mau   〜したい
jalan   道 (berjalan で歩くという意味。会話ではberが省略される事が多い)
harus  〜しなければならない
jauh   遠い
tahu   知る
kalau   もし〜ならば
jadi    〜になる / 成立する


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by jepunsari | 2014-03-11 09:37 | インドネシア語
母と一緒にバリに行ったのは1985年。

この頃、バリにはタクシーもなければ、旅行社も少ない時代でした。
車をチャーターするには、街中でトランスポートと声をかけてくる黒タクを拾うか、
ホテルのフロントで頼むくらいしか方法がなかったんですね。

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当時のパンタイクタ通り。走っている車もまばらな鄙びた観光地でした。



今ならば、フリーペーパー、パンフレット、ガイド本に溢れるような情報。
日本語の車チャーター、観光ツアーなど何から何まであるので、
こんな努力は必要ないかもしれません。


 でも、本当の旅の醍醐味は何でもやってみる事だと思います‥


今でも町を歩いていれば、トランスポート!と声がかかってきます。
20年住んでいても、まだ外国人に見えるということですね?

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by jepunsari | 2014-02-13 17:25 | jepun のつぶやき