バリ旅行に役立つインドネシア語学習。 80年代の懐かしいバリの思い出を綴ります。


by nenek yoshimi & jepunsari
はじめに

 外国語をマスターできる才能とは、何でしょうか? 国では「使える英語」を身につけることを目指して、英語の「海外仕込み」を応援するということです。実際に英語を使う場に身をおけば、英語力がつくという構想らしいのです。そのことで、日本人の苦手な英会話の出来る人々が増えれば結構なことです。 友人の一人に長い間、外人の先生のクラスで英語の勉強を続けている人がいます。彼女はロングステイ クラブ並びにインドネシア ロングステイの会の会員なので、会員の勉強会で、今度はインドネシア語も勉強するとのことです。私は、興味を持ちながらも、インドネシア語などできるものではないと、諦めていたのですが、彼女を見習おうと思いました。
私が始めて、インドネシア語を耳にしたのは、1985年にガルーダ インドネシア航空に乗って、バリに行った時のことです。民族衣装を着たスチュアーデスたちを見て、心の中はもう、外国にいるように興奮していました。英語、日本語のアナウンスがあった後で、何と表現してよいか分からないのですが、なんとなく耳に心地よいアナウンスがありました。今、思いだしてみれば、「スラマッ ダタン ク インドネシア(ようこそ、インドネシアへ)」という言葉だったのでしょう。訳も分からずに、不思議な思いでインドネシア語に興味を惹かれたのは、この時からだったと思います。

数年前、NHKのテレビ番組で、家族揃って、二週間バリで生活をする様子を取材したドキュメンタリー作品がありました。私より若く、恐らく私より長く、学校で英語の勉強をしてきたと思われるお母さんが、カタコトの英語もしゃべらず、すべて日本語で通してしまったのは、納得がゆきませんでした。その点、長男は覚えたてのインドネシア語で、
「スラマッ パギ(おはよう)」
 と挨拶していました。これは、二週間の旅の経験としては当たり前のことだと思いました。
 旅とは、名所旧跡を見学するのも意義深いし、ショッピングも楽しい。しかし、何と言っても、人と人との触れ合いが出来れば、最高だと思います。覚えたての外国語でおどけて話したり出来るのは、旅の恥はかきずてという諺を、上品な態度で実行するところに、ふれあいの旅が経験できようというものではないでしょうか。NHKのスタッフたちが、お母さんにわざと、英語もインドネシア語を話させなかったのなら、論外だと思います。視聴したあと、とてもよい作品なのに、その点が納得ゆきませんでした。

 バリの人たちはおうむ返しが上手です。「まぶしい」と、言うと顔をしかめて、「マブシイ」と即座に返ってきます。外国語が上達出来るか否かは、この反撥力にかかっていると私は思います。私にその反撥力があるでしょうか?
そんなことは考えず、人生のしめくくりの仕事としてインドネシア語を学び、その過程を本にしたいと思います。未知への挑戦は若い人達ばかりの特権ではなく、今や、老人パワーが花咲く時代です。若い人たちが、この本を覗いてくだされば、素敵なことです。

 
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      1985年に宿泊していたバリインタンコテージ。ブーゲンビリアの花が満開だった。

バリを旅行した思い出をたどりながら、あの時の会話は、インドネシア語では何と言うのかを、この際引き合いにして、体験的インドネシア語学習としてみたいとう思いから生まれました。幸い娘がインドネシア語を学び、会話も通じているようですので、ブロークン イングリシュでバリの人たちとふれあった会話をインドネシア語に置き換えてもらいました。その他、思いついたことなども教えてもらい、学習ノートに書いてゆきたいと思います。
 老いの輝きの一つの目標として、異国の言葉を勉強するプロセスを楽しみたいと思います。マレー語を母体としたインドネシア語はマレーシア、ブルネイなどの近隣社会でも通じる言葉です。おばあさんの学習ノート、どんな風に進むことでしょう。まずは、ゆっくり始めましょう。


Mari kita mulai pelan - pelan.
ゆっくり始めましょう。


 
        バリを旅する nenek (おばあさん)のインドネシア語学習ノートより
         Nenek Yoshimi

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# by jepunsari | 2013-03-25 09:37