バリ旅行に役立つインドネシア語学習。 80年代の懐かしいバリの思い出を綴ります。


by nenek yoshimi & jepunsari

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私の初歩の初歩、本当に少しの「インドネシア語」紹介のバリの旅は如何でしたでしょうか?

平成15年2月に書きはじめた文が、何と五年も経ってしまいました。人生いろいろなことがある証拠です。

 私がまごまごして完成できないでいるうちに、平成17年にNHKテレビでは「アジア語楽紀行 バリ・旅するインドネシア語」と題して素敵な語学放送を始めました。魅力的な出演者は、放送の案内役としてのバリのプリアタン『ティルタ サリ』の舞姫グスティ アユ スリ ユリアティさんです。
 このテレビ番組は5分間学習でしたが、とてもよかったと思います。興味を持たれた方が多いのではないかと思います。どこの国の言葉でもいいと思います。イ-デス ハンソンさんじゃないですが、一か国語でもカタコトが話せるのは、素敵じゃありませんか。ただし相手との間隔も大切です。誰でもが、理解する情をもってくれるとは限りませんから……。神に祈りながら他国で、その国の言葉を役立ててみましょう。

 この本の土台は、初めてのバリ旅行(1985年)の様子を小説もどきで書いた「旅の初歩の初歩 亜紀子と彩英子のバリ島ジャラン ジャラン」です。それからの抜粋ですが、長い間そのままになっておりました。このノ-トが、ようやく完成に向かう気持ちとなった背景には、その原本を「懐かしのバリ 一九八五年」と題して、抜粋版を作るという目的を、昨年から今年にかけて達したからでした。20年前のバリであるが故に何か同感されるところがありはしまいか? いささか手前味噌ですが、このエピソ-ドは尊いという思いが助けとなって、長い物語から抜粋しました。実を言うと、日本語版の方がなかなか手つかずで、このインドネシア語学習ノ-トの方が先にスタ-トして殆ど入力してありましたが、これもストップ状態にありましたので、日本語の方が先に誕生することになりました。

 インドネシア語の翻訳については、次女が結構量のある抜き書きから、会話の部分を丁寧にインドネシア語の会話と発音を書き込んでくれました。また構成についても原本を写しとるのでなく、一つの方向性を持つよう指導してくれました。雑然としていたものが整理されました。非常に面倒なことを、よくやってくれたと感謝しています。思った時に始めることは大切です。老いは自分が思うより早く迫ってきます。本の誕生で、もう忘れてしまったインドネシア語を、もう一度私も勉強したいと思います。
 
インドネシア語学習の本は今までも沢山出版されておりますが、昨年(2008年)の1月に発行された理想的な本をご紹介しましょう。全く唸りました。

 題名 
「インドネシア行き飛行機の中で読む、インドネシア語とそこに住む人々の話」
 著者は、橋 廣治氏
 発行所は株式会社近代文芸社

 是非お読みいただきたいと思います。

 いろいろご趣味をお持ちでおられると思いますが、楽しみの一つに、インドネシアご学習をお選びくださる火付け役になることができれば嬉しく思います。

 終わりにあたり、個人的なことで恐縮でございますが、私の長文の小説もどきの作品とも言えないような旅の記録を、がらりと構成替えをしてまとめてくれた上に、面倒な訳と、「役に立つインドネシア語の表現」など、大切なコ-ナ-をつくりだしてくれた次女に感謝することを、お許しくださいますよう願い上げます。

 バリの神様に「本当に有難うございました」とお礼申しあげ、旅で出会った多くのバリの方々、そしてこの本をお読みくださった方々に、厚く御礼申し上げます。


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  2009年4月30日   
    ネネッ好美


                   












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by jepunsari | 2015-07-21 15:33

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BISA
というのは〜ができる、という意味です。

Saya bisa bicara Bahasa Jepang.   私は日本語がしゃべれます。

Saya bisa main sepak bola.     私はサッカーができます。

Saya bisa memakai kebaya.     私はクバヤが着られます。

Saya bisa menulis surat.       私は手紙を書けます。


BISA には〜できる、という意味の他に、毒という意味もあります。
この場合は接頭辞のber- をつけて、ular berbisa (毒蛇)のように使います。




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by jepunsari | 2015-05-27 14:50
はじめに

 外国語をマスターできる才能とは、何でしょうか? 国では「使える英語」を身につけることを目指して、英語の「海外仕込み」を応援するということです。実際に英語を使う場に身をおけば、英語力がつくという構想らしいのです。そのことで、日本人の苦手な英会話の出来る人々が増えれば結構なことです。 友人の一人に長い間、外人の先生のクラスで英語の勉強を続けている人がいます。彼女はロングステイ クラブ並びにインドネシア ロングステイの会の会員なので、会員の勉強会で、今度はインドネシア語も勉強するとのことです。私は、興味を持ちながらも、インドネシア語などできるものではないと、諦めていたのですが、彼女を見習おうと思いました。
私が始めて、インドネシア語を耳にしたのは、1985年にガルーダ インドネシア航空に乗って、バリに行った時のことです。民族衣装を着たスチュアーデスたちを見て、心の中はもう、外国にいるように興奮していました。英語、日本語のアナウンスがあった後で、何と表現してよいか分からないのですが、なんとなく耳に心地よいアナウンスがありました。今、思いだしてみれば、「スラマッ ダタン ク インドネシア(ようこそ、インドネシアへ)」という言葉だったのでしょう。訳も分からずに、不思議な思いでインドネシア語に興味を惹かれたのは、この時からだったと思います。

数年前、NHKのテレビ番組で、家族揃って、二週間バリで生活をする様子を取材したドキュメンタリー作品がありました。私より若く、恐らく私より長く、学校で英語の勉強をしてきたと思われるお母さんが、カタコトの英語もしゃべらず、すべて日本語で通してしまったのは、納得がゆきませんでした。その点、長男は覚えたてのインドネシア語で、
「スラマッ パギ(おはよう)」
 と挨拶していました。これは、二週間の旅の経験としては当たり前のことだと思いました。
 旅とは、名所旧跡を見学するのも意義深いし、ショッピングも楽しい。しかし、何と言っても、人と人との触れ合いが出来れば、最高だと思います。覚えたての外国語でおどけて話したり出来るのは、旅の恥はかきずてという諺を、上品な態度で実行するところに、ふれあいの旅が経験できようというものではないでしょうか。NHKのスタッフたちが、お母さんにわざと、英語もインドネシア語を話させなかったのなら、論外だと思います。視聴したあと、とてもよい作品なのに、その点が納得ゆきませんでした。

 バリの人たちはおうむ返しが上手です。「まぶしい」と、言うと顔をしかめて、「マブシイ」と即座に返ってきます。外国語が上達出来るか否かは、この反撥力にかかっていると私は思います。私にその反撥力があるでしょうか?
そんなことは考えず、人生のしめくくりの仕事としてインドネシア語を学び、その過程を本にしたいと思います。未知への挑戦は若い人達ばかりの特権ではなく、今や、老人パワーが花咲く時代です。若い人たちが、この本を覗いてくだされば、素敵なことです。

 
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      1985年に宿泊していたバリインタンコテージ。ブーゲンビリアの花が満開だった。

バリを旅行した思い出をたどりながら、あの時の会話は、インドネシア語では何と言うのかを、この際引き合いにして、体験的インドネシア語学習としてみたいとう思いから生まれました。幸い娘がインドネシア語を学び、会話も通じているようですので、ブロークン イングリシュでバリの人たちとふれあった会話をインドネシア語に置き換えてもらいました。その他、思いついたことなども教えてもらい、学習ノートに書いてゆきたいと思います。
 老いの輝きの一つの目標として、異国の言葉を勉強するプロセスを楽しみたいと思います。マレー語を母体としたインドネシア語はマレーシア、ブルネイなどの近隣社会でも通じる言葉です。おばあさんの学習ノート、どんな風に進むことでしょう。まずは、ゆっくり始めましょう。


Mari kita mulai pelan - pelan.
ゆっくり始めましょう。


 
        バリを旅する nenek (おばあさん)のインドネシア語学習ノートより
         Nenek Yoshimi

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by jepunsari | 2013-03-25 09:37